ナンクルナイサーで生きていく

東京1年目にして転職2回、借金70万円、手取り17万円の沖縄人ブログです。

ダイって誰やねん!?この自己紹介を見ればダイのすべてが分かるよ!

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はいさい!

 

ダイでございます!

 

ダイブログにお越しくださいまして

感謝、観劇、雨嵐でございます。

 

今回はダイって誰やねん。ってことで

ダイのすべてが分かるスーパー長文

プロフィールを書きます。

 

あなたの大事な時間が

奪われてしまう可能性がありますので

 

「もうやることなさ過ぎてしんじゃう!

時間つぶしにフォロワー100人もいってない、

底辺アカウントのブログでも見てやるか」

 

という

この上なく暇な方のみご覧ください。

 

 

現在のダイ

 

1995年生まれの今年で24歳です!

 

生まれも育ちも沖縄でございます。

 

大学まで沖縄に住んでおり、

 

東京で働くってすごいイケてない!?

 

ということで花の都大東京へ就職。

 

しかし、現実は

いや~厳しい!(笑)

 

おかげさまで

 

・転職2回(新卒一年目で)

・低収入(月収21万円。手取り17万円)

・借金70万円(東京って金かかるんやで!)

 

ものすごく苦しゅうございます。

 

そんな状況を脱すべく

SNSの運用

・ブログ

を始めました。

 

ゆくゆくは

インフルエンサー

ならぬ

「ナンクルナイサー」

になる予定です。

 

えッ。めっちゃスベッてる?

な、な、なんくるないさー!泣

 

そんな僕の

「小さく可愛い純粋無垢な幼少期」から

「カリッカリッの苦しい生活」になった

これまでの僕について紹介いたします。

 

※ここから、非常に長いです。

引き返すなら今のうちです。

 

そういわれると、

逆に読んでみたい?そうですよね!

じゃあ、読んでくださいよ!

 

面白いかは保証できませんが。

 

 

スーパー黄金期小学生時代

 

モテにモテた小学生時代

 

僕は小学校4年生の時に

野球部だった兄の影響で

野球部に入部しました。

そこから、僕の小学生時代は

華やかになりました。

 

理由は、野球部は小学校の

ヒエラルキーのトップだったのです。

野球部に入っているだけで

チヤホヤされましたね。

 

ただ、ものすごく練習が嫌いで

週4日ある練習の週2日は

さぼってましたね。

 

もちろん、普通にさぼったら怒られるのですが

学級委員長や委員会に入って

放課後に資料やポスターなどを作る

という体でさぼっていました。

 

おかげで

「学校での活動も頑張っている奴」

ということでいい評判でした。

全く頑張ってないけど。

 

そんな僕も小学5年生になり、成長期で

一気に身長が12.5cmも伸び、身体能力が

著しく伸びました。

 

そうなると、どんなスポーツをしても

うまくいくのですね。

地域の野球部の間でも

少し有名な選手になりました。

 

そして、小学校特有の

スポーツできる奴=モてる

ということでモテにモテました。

 

実際に3人の子にも告白されました。

ただ、当時の僕は

「女の子には興味がない、クールな男」

という謎のブランディングをしており、

なぜか全員断ってしまう。

 

その中には、好きな子もいたのに、、、

いやーもったいないことをしましたね。

 

そんな、モテた要因でもある野球部を僕は

6年生で辞めてしまいます。

理由は、監督、コーチが嫌いだったから。

 

もう、水は飲まさないわ、怒鳴るはで

やってられなかったんですね。

 

当時野球部のキャプテンだった僕が

辞めると言い出したので

同じ学年の野球部全員辞めてしまいました。

 

いやー、監督、コーチ

ショックだっただろうな。

 

ただ、辞めたはいいものの

野球は続けたかったので

違うチームに移りました。

 

そこでも、レギュラーになり

活躍できたので、結果モテました。

 

人生最大にモテましたな。

 

母、青いイナズマになる

 

 僕が小学2年生くらいの頃ですかね。

 

僕の母の給料が80~100万円

くらいになりました。

 

沖縄でこの給料をもらっている方は、

ほとんどいないでしょうね。

 

もちろん、夜系のお仕事じゃありませんよ!!

 

そのころにうちの母は、

MLMのお仕事を初めまして

いわゆる「アムウェイ」のようなものです。

 

現在は、フィットネスインストラクターに

なりました。職の変化がすさまじい。

 

ネットでは、「アムウェイ」と調べると

ねずみ講だ!」とか「宗教だ!」とか

叩かれてますが、

あれはちゃんとしたビジネスで

違法ではありませんよ。

 

僕の母は、信じらないくらい明るく

話もうまかったので、すぐに結果を出して

いわゆる「成功」しました。

 

そんな、母は当時

真ブルー(千鳥ノブ風に言うと、大ブルー)の

セダンタイプのBMWを乗り回していました。

 

東京じゃ、外車なんて死ぬほど見ますが、

沖縄で見ることなんてそんなにありません。

しかもブルーのBMW

 

母はPTAの役員もしていたのでよく学校に

来ていました。

 

そうすると、僕の教室の窓から

ブルーのBMWが校門から入ってくるのが

見えるのです。そうすると、クラスの子が

「かっこいい!」とか「いいな!!」とか

言ってくれるわけです。

 

担任からは「青いイナズマ」と

呼ばれていました。

 

まあ、そのころの僕の優越感たるや

半端ないです。

 

そのとき、

「カネあるとチヤホヤされるのね!

僕も金持ちになろう!」

って思い始めました。

 

 

悲惨だよ、、中学時代

 

 成長期の終わりと共に

 

 僕の小学校での活躍を支えてくれた成長期。

しかし、中一になるとピタッと止まります。

そうなると、周りの子がどんどんデカくなり

それに伴う、急激な運動能力の向上。

 

僕はあっという間に

普通の人になってしまいました。

 

そこで頑張ればよかったのですが

うまくいかないと

すぐにやる気が無くなるタイプでして

またもや練習が嫌になり、

毎日どのように練習を

さぼれるかばっかり考えていました。

 

当時の練習メニューは

全て監督コーチが決め

選手はそれをひたすら

こなしていくというスタイルでした。

 

僕、他人から

「あーしなさい」とか「こーしなさい」とか

言われるの嫌いなんですね。

自分でやることは決めたい派なので。

もちろん、自分からアドバイスを求めて

言われる分にはいいのですが。

 

それもあり、

練習が嫌で仕方ありませんでした。

 

週一で練習が休みだったのですが

その休みの為に練習を

頑張るみたいな感じでしたね。

 

今の会社勤めのような感じですね。

 

ただ、親や友人などの圧力もあり、なかなか

辞められず3年生の引退までは続けました。

 

初の彼女に夢中になるがあまりに、、

 

成長期が止まり、普通の戦闘力になった僕。

 

小学校時代の戦闘力が

53万くらい(ドラゴンボールフリーザくらい)だとすると

中学時代の戦闘力は130ぐらいです。3桁落ちました。

 

そんな、悲惨な僕にも

うれしい出来事があったのです。

 

初の彼女が出来ました。

あの、クールな男気取りな僕にも

出来たのです。

 

しかし、

初めての彼女 + 思春期で

僕は彼女に異様なまでの嫉妬を

してしまうのでした。

 

少しでも他の男子と話しているだけで

嫉妬してしまうのですね。

 

ハンパ無い嫉妬心と

他に浮気相手と噂される男子の存在

が原因で分かれました。

 

そして、僕と別れた2日後に

やっぱり噂になっていた

男子と付き合ってました。

セームシュルとボディで

あばらが砕けるほどの衝撃を受けましたね〜

 

あまりの早さに

「早い!君たちやっぱりプロミスだ!」と

思わず言ってしまいました。

 

またもや、悲惨な中学時代に

もどってしまいましたね〜。

 

 

白球とあの子を追いかけた高校時代

 

結局、練習嫌いなのよ

 

 あんだけ、練習が嫌いだったにも関わらず

またもや野球部に入ります。

 

僕の通っていた高校は

マジで練習がきつくて、

毎日生き延びるのに必死という状態でした。

 

おかげさんで、ひじは故障するは、

腰は疲労骨折するはで大変でした。

 

ただ、ケガすると練習が休めるので

そこはラッキーでしたね。

 

いつも女子バレー部をみながら

体育館の筋トレルームにいました。

 

たまらぬ。

 

そんな練習が嫌いな僕が

野球部をやめなかったのか。

 

やっぱり、部活生はモテるんじゃ~

チヤホヤされるんじゃ~

 

それだけですよ。辞めなかった理由は。

 

この世に女子という生き物がいなければ

僕は汗にまみれて、泥にまみれて

臭くなるようなことはしたくないですからね。

 

僕は、先ほども書きましたが

「他人から支持されるのが嫌い」

「人のペースで物事をやりたい」

ってことがようやく高校生になって

気が付きましたね。

 

いやぁ、本当に嫌いや〜

 

恋の力は無限大!大学受験

 

 そんなこんなで高校3年まで

白球を追いかけ続けました。

 

引退して次に来るものは、

そう大学受験。

 

しかしながら、わたくし

部活を理由に勉強を全然しなかったのですね。

 

センター試験まで半年。

非常にやばいです。

 

やばいのですが、沖縄で一番偏差値が高い

大学を目指しました。

 

目指さなければならない理由があったのです。

 

「学びたいものがある。」

 

ノン(NOってことです。)

 

「学費が安い。」

 

ノン(国立で確かに安かったがそれが理由ではない)

 

「花の大学ライフを謳歌したい。」

 

全くノン(ノンってなんやねん)

 

 理由は

「僕が好きな子がその大学に行くから。」

 

以上。ありがとうございました。

 

それだけかよ!

と思うかもしれませんがそれだけです。

 

僕が好きなその子は頭が良かったので

恐らく大学に受かるのです。

 

僕は好きだから

もちろん付き合いたいのですよ。

 

しかし、当時はスーパー奥手だったので

話しかけることはほとんどなく、

どうもこうもできませんでした。

 

なので、同じ大学に行けば

どうにかなると思い、

死ぬ気で勉強したのです。

 

その結果、見事合格!

 

恋の力半端ないって!

 

そして、そのあと

告白して付き合うことに!

 

これで、エンジョイ!大学ライフ!

と思ったのですが、なんと

3か月でお別れすることに。

 

あらやだ。

 

人生うまくいかないもんだな~

 

 

波乱万丈大学時代

 

先生の道を諦めさせたベトナム

 

女の子を追いかけて

入学した大学ではありますが、

一応、ぼんやりと

将来やりたいことはありました。

 

それは「学校の先生」です。

 

勉強はあまり好きではなかったのですが

学校行事などは好きだったので

大人になってもあんな感じで

盛り上がって生きていきたいなという

生半可な気持ちで教育学部に入学しました。

 

教育学部は外国語の授業を「英語」とは

別にもう1か国語の授業を

取らなければなりませんでした。

 

周りが

「中国語」「フランス語」「スペイン語

などの授業を取る中、

僕は「ベトナム語」をチョイス。

 

理由は、マイナーだし、単位が

楽に取れそうだったから。

 

しかし、受けてみるとこれがおもしろい!

 

実はベトナム語の授業を持っている先生が

大学内では有名な先生で、

けっこーハチャメチャな授業。

(中身は公の場では言えない)

 

僕はすっかりベトナムにはまってしまい、

ついには海外短期インターンシップ

ベトナムに行くことに。

 

インターンシップ内では、

現地の人と一緒に働いたり、

ベトナムで会社経営している人や

日系企業の役員の方から話を

聞く機会がありました。

 

影響を受けやすい僕は

 

「学校の先生より

企業とかで働いた方が楽しそうじゃん!

なんかイケてるし!

自分で会社とか興すのもありかも!」

 

となり、先生の道をあっさり捨てました。

 

しかし、そこからが大変だったのですなぁ。

 

時間とお金がなくなった学生団体時代

 

インターンシップから帰国し、

僕は自分でビジネス本を

買って読んだりして

勉強するようになりました。

 

そんな中、インターンシップ

メンバーである子から

「学生向けのビジネスプランの

発表会があるんだけど来る?」

と言われ、参加することに。

 

その発表会は、

学生主体のNPO法人が主催しており

当時の僕からしたら、

とてもレベルが高いものに見えました。

 

そこで、僕はこの人たちと一緒に活動したい!

 

ということでこの会を主催してるNPO法人

所属することに。

 

月5千円の会費を払い

週一回のビジネスについての勉強会、

そして月に一回その学んだことを

活かすために外部の人を呼んで開催する

パーティー企画(企画立案、実行の実践ということで)

月一回のセミナー企画(ビジネスプラン発表会のようなもの)を

行っていました。

 

イベントを開催する理由は

学生会員を増やすのが目的です。

サークルが新入生歓迎イベントを

やるような感じです。

 

団体は、月の5000円の会費の他にも

イベント企画の出費などで

5,000円ぐらいかかるのです。

 

実はこのNPO法人

起業塾というビジネススクール

通う塾生(学生)が創設したもので、

そこが学生窓口になり

起業塾に入学させるというモデルでした。

 

塾生は、学んだことを実践するということで

学生主体のNPO法人を作り、運営しなければいけなかったのです。

 

このNPO法人は一般メンバーと

幹部メンバーに分かれており

幹部になると半端なく金がかかります。

 

なぜかというと、幹部はその起業塾

月に1回または2回ほど

行う有料の「サークル運営セミナー」に

参加しなければならなかったのです。

 

しかも、1回2万円。

高杉くんですよ。本当に。

 

なので、結局月3万円~5万円かかるのですね。

 

嫌なら断ればよいのですが

断れないように洗脳されるのですな。

 

洗脳手順を書くとだいぶ長くなりますので

コチラは割愛。

 

僕はその団体に所属して一年後に

起業塾に入学します。

年間60万円のコースに申し込みました。

 

その間も団体の活動費もありますので

年100万円近く使っていました。

 

もちろん、自分のお金だけじゃ

足りないので、親から借りたり、

消費者金融で借りたりして、

どうにかこうにか頑張りました。

 

そうして、

僕は借金を抱えるようになったのです。

 

その時は消費者金融から

35万円くらい借りてました。

 

ただ、その活動も急に終わりが来ました。

起業塾がつぶれたのです。

 

理由は、2ありました。

 

1つ目は、働いている講師の過剰な労働と

起業塾を作った社長と講師の金銭トラブル。

どぎついノルマを与えられ、

クリアできない場合は自腹になるだとか、

高利子で社長からお金を

貸し付けれらるとかですね。

僕じゃなくて、講師側ですよ。

 

2つ目は、社長と団体所属の女子大生との

肉体関係。所属していた女子大生にあろうことか社長が何度か手を出していたのですね。それが明るみになってしまったのです。それで、

起業塾または、学生団体のメンバーが総じてやめました。

 

僕はかなりのショックでした。

なぜなら、洗脳されていたので社長のことを

ものすごく尊敬していたからです。

 

その時、他力本願では

なりたい自分になれないと実感しました。

 

僕は「この人についていけば成功者にしてもらえるかも!」とずっと思っていて、その社長について行っていたのです。

 

しかし、現実はお金も時間も吸い取られ

僕は貧しくなるばかりでした。

 

自分の道は自分で切り拓かないといけないと

強く思いました。

 

就職先、華の都大東京

 

僕は晴れて自由の身になったのですが

その時はすでに4年生の4月。

 

就活を全くしてなかったのですね。

 

やばい!非常にやばい!

 

そこで僕は取り合えず

 

「なんか稼げそう」

 

って理由のみで東京へ。

 

1か月半くらい、カプセルホテル

ドミトリーのゲストハウスを転々とし

その期間とりあえず、

いろんな会社を受けまくりました。

そうすると、なんとか2社ほど

内定を頂けたのです。

 

いや〜、仕事って

選ばなければこんな奴でも

内定出すんですね。

 

しかし、2社ともそこで

働きたいというわけでもなかったので

どうしようか迷っていたのです。

 

行きたくもない2社で

悩むというのは非常に辛い。

だって、ワクワクしないですからね。

悩んで決めて就職しても。

 

そんな中、

僕と非常に仲の良かった大学の先輩から

 

「うちのグループ会社の人の飲み会があるんだけど来る?誰でも参加していいって言われたから」

 

ということで、どうせやることもないので

行くことに。

 

そこにいたのは、

67歳のおじーちゃんと息子と息子の友人たち。

「会社の人いなくね?」と思ったのですが

そこにいるおじーちゃんが先輩の働いている会社を立ち上げた人らしい。

 

先輩は映像制作の会社に勤めているが、

そのほかにも沖縄県内に、旅行会社、レンタカー、バスなど複数の会社を立ち上げた人で、結構すごい人でした。

 

そこで、僕の就活の話をして

将来は稼ぎたいです、と話をしたら

そのおじーちゃんが、

 

「そこの会社に行って、本当に稼ぎ方教えてくれるのか?俺は教えられるから俺の会社で働け。」と言われました。

 

実はそのおじーちゃん会社を東京にも立ち上げていたのですね。

 

だったら、そこで働きますということで、東京出兵が決定しました。

 

 

現実は厳しいぜ!華の都大東京

 

1社目:プライベート0

 

ということで4月になり、

僕はおじーちゃんの会社で

で働くことになりました。

 

沖縄には電車がないので

始めの一か月は移動だけでしんどかったのを

覚えています。

 

そんな、僕の1社目の給料は

 

額面16万円(交通費別途支給)

 

「、、、、、やすッ!!」

 

と思う方もいるかもしれませんが

職場から1時間20分も

離れたおじーちゃんが昔住んでいたマンションに住まわしてもらっていて、家賃、光熱費はただでした。

 

なのでお金は裕福ではありませんが

なんとか大丈夫でした。

 

そのマンションで、

2つ上に先輩とシェアハウス。

もちろん、先輩は男性です。

 

僕の仕事は、

旅行系の業務基幹システムの営業。

 

僕は、ひたすら飛び込んで名刺を交換するということをやっていました。

 

一人で自由に行動できるので、

僕として楽でしたが、

仕事以外が、しんど過ぎた。

 

そのオジーちゃん、ほぼ毎日16時くらいから

お酒を飲んでおり、ほぼ100%僕が呼ばれる。

 

そこには、外部のしらんおっちゃんか

内部のおじさん社員が呼ばれる。

 

それだけなら、ただの飲み会なのだが

ジーちゃんがものすごく酒癖が悪いのです。

 

大体、キレている。

キレない日あったかな?(笑)

 

役職が上がるにつれて

キレるレベルが上がる。

殴るは、大声で怒鳴るわ。

 

もう大変。それが毎日

夜10時ぐらいまであるのだから

時間の無駄ったらありゃしない。

 

そして、土日も朝から

ジーちゃんの買い物やら競馬やらに

付き合わされることもしばしば。

 

プライベートほぼ0。何もできない。

 

おじーちゃんは、沖縄へ月に一週間ぐらい

は戻るのでそのたびに僕は歓喜しました。

 

ということは、僕は月に一週間程度しか

自由になれないのか!?

 

とようやく気付き退社を決意。

 

退社することを

飲み会中にオジーちゃんにお告げしたら

いやー大変。罵詈雑言の嵐ですわ。

幸いにも殴られはしませんでしたが。

 

そして、僕は1社目を4か月目の8月末に退社。

 

 

苦しい転職活動

 

そこで、僕は9月からフリーの身に。

 

しかし、辞めたのはいいのだが

家がないのだ。

 

ということでとりあえず友達に

家に3週間も居候。

 

その間、家探しをしたのだが

まず無職の男に家を

貸してくれるところはない。

 

一応転職活動をして、とりあえず

お金がないので、早く稼げそうな営業職で

探しました。

 

そこで、僕はHPの

営業職の仕事に内定を頂きました。

 

本当に仕事を選ばなければ

仕事ってありますよね〜

 

前回の記事にも書いた結構やばい会社です。

 

 

can-dai-oki.hatenablog.com

 

 

can-dai-oki.hatenablog.com

 

 

9月末に内定は頂いたのですが

入社は11月。

 

次に給料もらえるのがなんと12月!!

 

なんと、無給の時期が3ヶ月!

しかも東京!

 

さすがに友達の家にいすぎては

迷惑なので、2週間はゲストハウスに住んで、

その間家を探して無事10月の後半に

新居に住めたのです。

 

その間、バイトなどもしてませんし

貯金もほぼ0だったので

 

引っ越し、家電・家具、生活費で

消費者金融から50万くらい借金しました。

 

そして、大学時代の借金(1年間は返済していたので20万円)

転職の借金50万円で

 

計70万円の借金を抱えることに。

 

もちろん、親からの借金は別にあるので

トータルするともっとあります。

 

親は「返せるようになったら返しなさい」ということで一旦、消費者金融から返すことに。

 

本当に親には頭が上がりません。

 

そんで、僕は新卒一年目にして

借金70万円に。

 

いや、月々2万ずつ返しても

利子で全く元本減らんぞや。笑

 

 

2社目:ゴリゴリ体育会系営業会社

 

そして、僕は11月から2社目に入社。

 

そこは、体育会系のゴリゴリ営業会社ですわ。

やくざのような人の集まりですね。

 

みんな、ノルマに追われすぎて

机はぶっ叩くは、怒鳴るわで

キレやすいったらありゃしない。

 

朝礼では、大声で返事したり

壁には個人の数字がデーンと張られてました。

 

ノルマを達成できない人は、

くず扱いされるような凄まじい環境でしたね。

 

僕も多いときは1日250件くらい

テレアポしました。

電話しすぎて、頭がまっしろになり

なにを話しているか自分で分からなくなることもしばしば。

 

そんな会社の仕事の流れは、

こんな感じでした。

 

電話でアポイントを取る。(朝9時から電話しまくる)

訪問して、即決営業。

(即決営業とはその日で契約をしてもらう営業)

 

アポイントを取って

ようやく外へ出ても

契約をとれなければ

上司に殺されるという

まさに、中にいるも地獄

外に出るも地獄でした。

 

勤務時間も

朝8時半から21時、22時くらいまで、

上司は23時~24時に帰るという

ストイックぶり。

 

あまりに苦しいので

上司はみんな会社から

1駅の超リッチなところに

引っ越ししていました。(会社は渋谷駅徒歩5分のところ)

 

そのおかげで固定費があがり、

辞めたくても辞められないという

なかなかしんどい感じになり~の

 

また、ブランド好きな社長の影響で

「営業マンたるもの

一流のものを身につけろ!」

ということで全身くそ高い

ブランド品で固めまくる。

金がかかるんじゃ~

さらに辞められないことに

拍車がかかっていましたね。

 

さすがに、この会社にいても

「あ~こんな上司になるのか~いやだな~」

ってことで2か月目の12月末で退社。

 

まあ、

単純にしんどかったです。

 

 

3社目:普通の会社

 

そして、2社目もスーパー早期退職しまして

 

こいつ大丈夫なのか??

 

と思ったかもしれませんが。

実は2社目に決める前に

もう一つ別の会社に内定を

頂いてたのです。

そこに退社したその日に即メールで

応募いたしましたら

なんと1月の中旬に働けることに。

 

いや~、拾ってくれた社長さんに

感謝だわ~。

 

そして、この会社は

9時~18時までで一般社員の残業時間が

平均月10時間ぐらいで、土日祝祭日休み。

 

前社は、週のノルマが達成できないと

土曜日出勤もしばしばあったので

まあ、いい会社ですわ。

 

ただ、僕の上司は毎日22時から23時の間で

退社していてやっぱり上司になるとどこの会社も帰れなくなるのねと実感しました。

 

しかも、僕の上司は今年で50歳。

50歳になってもこんなに

働くのは嫌だなーと思いながら

今日も毎日頑張っております。

 

入社、2か月目にして一気に

仕事量が4倍くらいになり

残業続きなので早く対処せねばならんです。

 

 

一番大事なのは、自分の時間だということに気づいた。

 

ここまでダラダラと書いてきましたが

社会人になって気づいたこと。

 

「使える時間すくな!!!」

 

使える時間マジで少ないです。

 

特に東京で就職すると

会社に行くだけで1時間はかかりますし、

会社で仕事をして、

家に帰って家事をする。

自由に使える時間って

2時間あればいい方じゃないでしょうか?

 

もし残業が当たり前の会社になると

家に帰って死んだように眠るだけですよ。

 

そして、週2日の休み。

 

それだけですよ。

本当に自由に使える時間って。

 

残念ながら

会社での仕事が本当に好きで

仕事したくて仕方ないって人は

ほとんどいません。

 

少なくとも僕は現在いる会社を含め

そのような人は見たことありません。

 

みんな、日曜日の夜になると

 

「あ~もう月曜日か嫌だな」

 

と考え、出社すると

 

「早く終わんねーかなー」

「今日も残業、、何時までかかるんだろう」

 

もうネガティブなことを考えて

会社にいると思うんです。

 

もちろん、会社が好きな人はいます。

 

ただ、先ほども言いましたが

大多数は会社なんか行きたくないと

思っているはずです。

 

会社に人生の大事な時間を捧げ、

日々耐え忍び、給料をもらいながら

 

家族を作り

車を買い

家を買い

 

だんだんと会社員から

抜け出すことが困難になり、

気が付きゃ50代みたいなことになるんです。

 

その人生って本当に

ワクワクしないなって僕は思ったのです。

 

でも、このまま何もしなければ

こんな未来が待っている。

 

なので、現在SNSを運用したり、

今、こんなふうに長々と誰得やねん!という

スーパー長文自己紹介を書いているのです。

 

時間はかなりかかるかもしれませんが

会社員で必死で働くより

その方がワクワクしたのです。

 

自分の時間が

お金や役職や名誉よりも大切だなって

本当に働いて思いました。

 

これからも、

ショボアカウントだけど

がんばるぜい!!

 

以上、ここまで読んでくれた方

いたら教えて頂きたいです。(笑)

 

ありがとうございました。